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映像ジャーナリスト 鍋 潤太郎の随筆による、ハリウッドVFX情報をいち早くお届けします。

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pactitle_1.jpgハリウッドで90年間の歴史を誇った老舗ポスト・プロダクション「パシフィック・タイトル&アート・スタジオ」が、
今年6月にひっそりと閉鎖していた事がわかった。

同スタジオの名前は、映画関係者やポスプロ関係者、そしてハリウッド映画のエンドロールを隈なく観ていた方にはお馴染みであろう。

「パシフィック・タイトル&アート・スタジオ」は、ハリウッドのポスプロ業界、そしてVFX業界では通称"パック・タイトル"で親しまれた著名ポスト・プロダクションであり、殆どと言って良いほど、多くのメジャー映画のエンド・クレジットを手掛けていた。

その関係で、映画のクレジットの"最後のさいご"のあたりに「必ず」と言って良い程、社名を見掛けたスタジオであった。

「パシフィック・タイトル&アート・スタジオ」の1919年、ワーナー・ブラザーズのアニメーション・アーティストだったレオン・シュレジンジャー( Leon Schlesinger)によって創業された。

創業当時は、白黒のサイレント映画に字幕やタイトルを入れるビジネスを、主な正業としていたらしい。

後に、「The Jazz Singer」「Gone With the Wind」「Ben Hur」などの名作でもタイトルを手掛けるようになる。

数年前に撤退したが、大スクリーンが人気を呼んだ65mm/70mmに対応出来る「大型映画部門」も持ち、
ハリウッドの幅広いニーズに答えていた。

90年以降はデジタル化の波に積極的に移行し、ある程度の成功も収めていた。

フォトショップによるデジタルのエンド・クレジットを作成を開始しデジタル化を図り、フィルム・レコーダーを導入しフィルム・レコーディングディングのビジネスもスタート。ハリウッド中のVFXスタジオは"パック・タイトル"へ完成したファイナル画像を送る事が多く、ここで沢山の映画のフィルム・レコーディングが行われていた。

pactitle_3.jpg特に、映画「Matrix Reloaded」(2009)の制作では、 ESC(サンフランシスコ)、BUF(フランス)、Animal Logic(シドニー/オーストラリア)、 CIS(ハリウッド)、Sony Pictures Imageworks(カルバーシティ)、Giant Killer Robots(サンフランシスコ)という6つのVFXベンダーとの連携が組まれた。すべての完成画像は、ここ"パック・タイトル"へと集結され、レコーディングが行わる程、ハリウッドでは絶大な信頼と実力を誇っていた。

2000年を前後して、社内には小規模ながらMayaベースのVFXチームも作られ、セット・エクステンション(限られたセットだけで撮影しておき、後でデジタルによって余白を継ぎ足すVFX作業)などのシンプルなVFXも手掛けるなど、「デジタル・ポスト・プロダクション」への移行も行われた。コンポジットにはShakeを採用、グリーン・スクリーン合成等にも対応していた。

また、古いフィルムを修復する「デジタル・レストレーション」も行っていた。

ちなみに、初期の社内デジタル・スタジオの名称として一時期使用していた「Pacific Title Mirage」としては、99年と2000年のシーグラフで作品が選定され、エレクトリックシアターで上映されている。

過去数年はDI部門も新設、「"パック・タイトル”のDIルームでカラーコレクション」という言葉は大手VFXスタジオ内でよく聞かれた。

同社が最近担当した作品には「Terminator Salvation」「Fast and Furious」「Watchmen」「Gran Torino」等の大作が名を連ねている。

このように、ハリウッド映画界の誕生からデジタル革命に至る成長を、文字通り見守り続けて来た"パック・タイトル”だったが、同スタジオは投資会社Celerity Partnersへ2005年に売却され、その際に起こった旧役員の不当解雇訴訟では敗訴する等、近年は経済的に厳しい状況に置かれていた。

その上に襲ったのが、SAG(スクリーン・アクターズ・ギルド / 全米映画俳優協会)のストライキの影響による、映画界全体のスローダウンだったという。そして一連の大きな不況が加わり、「大きな渦」からとうとう抜け出す事が出来なかった。

社員のペイ・チェック(給与小切手)が停滞し始めた6月のある日、同スタジオCEOのデイビット・マッカーシー(David McCarthy)から、全社員に対して「今すぐ、自分自身の今後の準備を始めるように。近々、全員のレイオフが行われる事を覚悟してほしい」というメールが発信された。

そして、同スタジオは、残存プロジェクトをすべて完了、その納品を済ませ、6月末に閉鎖となった。

"パック・タイトル”は、創業が20世紀初頭と、地代が安い時代だった事もあってか、ポスプロとしては非常に珍しく自社ビルを持ち、ハリウッドの南、サンタモニカ通りとカヘンガ通りの交差点近くにある築90-100年の狭いビルで、90年間営業を行ってきた。

2005年頃、筆者はここに当時勤務していた友人を訪ね、このビルを訪問した事がある。35mmフィルムのネガティブ・ラインナップを行う部門と、デジタル・タイトルを制作する部門の新旧テクノロジーが狭い社屋のフロア別に共生している、非常に興味深いスタジオ風景だった事を印象深く覚えている。

不況の影響で、またハリウッドの歴史が1つ幕を閉じた。

「パシフィック・タイトル&アート・スタジオ」は無くなったが、"パック・タイトル"の愛称は永遠にハリウッドのポスプロ業界で語り継がれる事だろう。



pactitle_5.jpgかつては、大勢の社員と来客で満車状態で、車を整理&移動する専門の係員もいたパック・タイトルの駐車場。

閉鎖後は、ひっそりと静まり帰っていた。










著者追記: Pacific Title はその後、2012年12月にバーバンクのポスト・プロダクションPJF Productions に売却され、タイトル制作の一部業務などを再開しているという。関連記事


 

   過去記事はこちらからどうぞ 全目次
 



上記コラムは、このサイト向けに随筆されたオリジナル・コラムです。

著者に無断での転載、引用は固くご遠慮下さいますよう、
お願い申し上げます。

転載や引用をご希望の方は、お問い合わせページ
よりご連絡下さいませ。

(C)1997-2009 All rights reserved  鍋 潤太郎 































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著者注:2009年の記事です。

 [写真:ハリウッドの工事現場で見かけた"This Is It"な光景。塀がすべてポスターという粋な計らい]

ThisIsIt_Hollywood.jpg












注:マイケル・ファンの皆様へお願い
当記事を引用or転載される際は、当サイト名およびURLを「引用先」として必ずご明記頂けますよう、お願い致します。 鍋 潤太郎



マイケル・ジャクソンのドキュメンタリー映画「This Is It」が絶賛上映中という事もあり、今回のコラムはやや趣向を変えて、マイケル関連のホットな話題(本当)をお届けしましょう。

先日も、「This Is It」のVFXを担当した日本人アーティスト平野淳司氏のインタビューをご紹介しましたが、今回まず1つ目は、究極情報!マイケル・ジャクソンがお気に入りだったインド料理レストランの話題から。



著者注:残念ながら、下記「CHAKRA」は2016年現在、閉店したようです。


ちなみにこの話題は、2009年11月の段階では、まだ日本では知られておらず、このコラムが初めて日本の皆さんにご紹介致しました。

マイケルが生前に通っていたインド料理のレストラン。それは、ビバリーヒルズの米脚本家協会試写室(WGA Theater)と同じビルの中の、シアターの左隣にあるレストラン「CHAKRA」です。

このWGA Theaterは、2007年6月に開催されたVES主催「VFXフェスティバル」の会場として使用されたり、SiggraphのLA分化会であるLA Sighraphの月例会が開催された事がある等、LAのCG関係者には比較的お馴染みの試写室であります。また、この近所にはアカデミー賞でおなじみアカデミー財団の試写室もあり、ここは過去にジャパニメーションに関するレクチャーや、最近では宮崎 駿監督の講演などが行われた場所です。

chakura_gaikan.jpgさて、このWGATheaterの建物内、試写室の入り口の左隣に、2年ほど前にオープンしたのが、このインド料理「CHAKRA」。お店はおよそ30-40人も入れば一杯になりそうな、小じんまりしたサイズです。

マイケルのお気に入りという事もあり、亡くなる約1ヶ月前の5月14日(木)には、ご両親であるジョセフ&キャサリン夫妻の結婚60周年記念を祝って、お店を貸し切りにしてジャクソン家のメンバーが揃い、ファミリー・ディナーが行われたそうです。

このお店にはVIPルームがあるのですが、ジャクソン家の貸切りだったので、VIPルームは使用せず普通の客室ホールで食事し、「マイケルは客室中央のテーブルに座っていた」と、当日料理を出したというインド人の店員さんは嬉しそうに語ってくれました。

マイケルは6月25日に残念ながら急逝された訳ですが、ここCHAKRAでは、常連だったマイケルをしのんで、彼が来店時に好んで食べていたコースを3つ選び、「Michael Jackson's Favorite 3 cource」と題して、ディナータイムに$35.00(約3150円)で提供を始めました。

通称は「マイケル・ジャクソン・ディナー」。

まずサラダが出た後、前菜とメインコース、デザート。それぞれ3種から選ぶ事が出来、ワン・ドリンクがついて、これで$35.00はお得でしょう。(2009年当時)

著者注:残念ながら、下記「CHAKRA」は2016年現在、閉店したようです

前菜とメインコースは、マイケルが好んだ3種類がそれぞれリスティングされており、その中から1品づつをお好みで選べるようになっています。辛さも、マイルドから本場インドのプロ・レベルまで調節してくれますので、辛いのが苦手な方でも大丈夫。

Menu Image Courtesy : Chakra Indian Cuisine / Beverly Hills   http://www.chakracuisine.com/
tokubesu_menu.jpg
























※このメニュー画像は、今回CHAKRAより「当コラムの為に特別に提供して頂いたもの」で、やはり本邦初公開。

メニューの末尾には「マイケルお気に入りのレストラン。彼はカレーが好きでした。」という、マイケルの姉上で、歌手ラトーヤさんのコメントが紹介されています。

マイケルのファンの方、そしてシーグラフや出張等でLAを訪問される方は、是非試されると良い記念になる事でしょう。

場所はビバリーヒルズですが、アート系映画館や、前述のように映画業界の試写室が多いカジュアルなオフィス街にあり、ドレスコードなしで気軽に入れるレストランです。

フォーシーズンズ ホテル ビバリーヒルズからも徒歩圏内で、Doheny Driveを歩いて8分程南下した右側(西側)にあります。

治安は大変良いエリアですが、観光で来られる方は、念のために日没後は徒歩よりもタクシーを使用される方が賢明でしょう。

筆者は先日、友人と共にCHAKRAを訪問し、この「マイケル・ジャクソン・ディナー」を美味しく頂きました。

店内の内装はお洒落で、ビバリーヒルズらしい高級感が漂ってはいるのですが、前述のように敷居は高くありません。そして、

 「これをオーダーしたいなら、まずお客さんには一発 "ムーンウォーク" を踊って頂かないと、料理は出さない規則になっているんです」

と関西風のジョークをカマしながら注文を取りに来る気さくなインド人のウェイターさんとの会話も弾みます。

CHAKRAには昼のランチもあり、価格も10ドル前後とお手ごろです。(だた「マイケル・ディナー」は夜のディナー・タイムだけで、ランチの時間帯にはサーブしないそうですので、ご注意ください。)

お店によると、この「マイケル・ジャクソン・ディナー」をいつまで継続するか、まだ決めていないそうですが、もしこのコラム掲載から1年以上が経過してから訪問される方は、事前にお店に確認してみると良いでしょう。

※もし、ある程度期間が経過して、これが終了してしまったとしても、このメニューをプリントアウトして持参すれば、同じ組み合わせを「バラ」で出してもらう事は可能と思われます。

著者注:残念ながら、下記「CHAKRA」は2016年現在、閉店したようです。

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さて、レストラン情報だけでは「映像トピックス」としては少々物足りないとお嘆きの諸兄の為に、マイケルにまつわる映像系エピソードを、ここで「さっくり」とご紹介しておきましょう。

ご存知のように、マイケルの数あるミュージック・ビデオの中で、映像の完成度や斬新さで話題を呼んだ作品に「スリラー」(1983)と「ブラックorホワイト」(1991)があります。

どちらもジョン・ランディス(John Landis)監督の作品ですが、後者の「ブラックorホワイト」は、当時開発された斬新な表現テクニック「モーフィング」(今ではもう誰も驚きませんが、当時は一大ブームを呼び起こしました。ナブラが制作したCM「まさお君が、ラモスに変身」もこのテクニックによる作品です)が話題を呼びました。

この開発とモーフィング部分の映像制作は、意外(?)にもPDIが担当していました。

最も、この当時のPacific Data ImagesはDreamworks SKGの傘下に入るかな~り前で、映画ではなくテレビの仕事をメインにこなしていた、古き良き時代でした。

しかも、テレビの仕事を請け易いように、サンフランシスコの本拠地とは別に、LAに出張所を構えており、ここで「ブラックorホワイト」のVFX制作は行われました。PDIのLAスタジオは、パラマウント映画スタジオ正門の向かいにある、ラレー・スタジオ(Raleigh Studio)を間借りして作業を行っていたのです。

こちらは、その証拠。PDIなのに住所がLAになっている (1992年当時):
PDI_LA.jpg













ここで開発されたモーフィングの技術はシーグラフで発表され、その技術が応用されたのがSGIワークステーション上で動いたモーフィング・ツール「Erastic Reality」へと繋がったのだそうです。

これらは90年代のお話ですので、隔世の感がありますが、このように、マイケル・ジャクソンとSFX/VFX技術の発展には多少なりとも繋がりがありました。

そういえば、マイケル関連では、もう1つ、非常にタイムリーな情報があります。

かつてディズニーランドの人気アトラクションだった「キャプテンEO」が来年1月頃にアナハイム(ロサンゼルス)のディズニーランドに復活すると言うニュースを、11月16日付のハリウッド・リポーター誌が伝えました。

米ディズニーのサイトにおける関連記事: 「キャプテンEO 2月にアナハイムのランドに復活」
http://disneyparks.disney.go.com/blog/2009/12/captain-eo-returns-to-disneyland-resort/
 

今では、せいぜい圧縮掛かりまくりの低画質映像がYouTubeで位しか拝めなかった「キャプテンEO」が、再びアトラクションとして立体映像と抜群の音響で楽しめるのは、素晴らしい事です。

復活の暁には、アナハイムのディズニーランドで「キャプランEO」を楽しみ、夜はビバリーヒルズのCHAKRAで「マイケル・ジャクソン・ディナー」、これぞ、最高の組みあわせではありませんか?

今から、とっても楽しみですね。 


関連記事:
マイケル・ジャクソン「THIS IS IT」のVFXを担当 平野淳司氏に聞く(11/08/2009)


   過去記事はこちらからどうぞ 全目次  



上記のコラムは、日本のメディア向けに書かれたものではなく、
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