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映像ジャーナリスト 鍋 潤太郎の随筆による、ハリウッドVFX情報をいち早くお届けします。

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ハリウッドのVES(Visual Effects Society/全米視覚効果協会)は、毎年6月にビジュアル・エフェクツ・フェスティバルを開催している。

 今年はビバリーヒルズにある全米脚本家協会の試写室、Writers Guild Theaterで、6月8日(金)から10日(日)までの3日間、週末を利用して開催された。

 このフェスティバルは、ハリウッドのVFX現場では「シーグラフよりも面白い」と謳われる程で、メーキング講演などが目白押しの、非常に密度の濃いイベントである。

 このレポートの第5弾を、先週に引き続きお届けしよう。

 ○第3日目 『The VES50』

  THE VES 50 - The most Influential Visual Effects Films of All Time

  Sunday June10th 2007 3:30PM-5:30PM

  John Dykstra

  Richard Edlund

  John Knoll

  Dennis Muren

  Ken Ralston

  Doug Trumbull

 VESはハリウッドを中心とする、世界中のVFXのプロで組織されているが、今回のこのフェスティバル開催にあたり、

 「最も影響を受けたVFX映画ベスト50」を会員投票によって募り、その結果をこの程発表した。

 「このベスト50を会員投票によって決定する試みは、大変スリリングなものでした」

 とVESのエグゼクティブ・ディレクターであるエリック・ロス氏は語っている。

 「これらの作品は、映画が持つ表現能力やストーリーテリングを、VFXによって数レベル上に押し上げただけでなく、われわれVFX界で働く者達に多大な影響を与えたのですから。」

 このパネル・ディスカッションでは、リチャード・エドランド、デニス・ミューレン、ダグラス・トランブル、ジョン・ダイクストラらアカデミー賞受賞暦のあるVFX界の著名人をパネルに迎え、司会はILMのジョン・ノールというメガトン級豪華メンバーが勢ぞろいし、華々しく開催された。

 では、その模様を簡単にご紹介しよう。

ジョン・ノール:
私は1962年生まれです。これらの50本の映画を観て育ったようなものです。いつも「どうやって作ったんだろう?」と思っていました。シネフェックスやスターログ等の雑誌は、もうそれこそ死ぬほど読みました。子供の頃、母に連れられてジョン・ダイクストラのスタジオを訪問し、「これを仕事にしよう!」と思ったものです。

 

ジョン・ダイクストラ:
実は、私は今日「ビンテージもの」の雑誌を持って来ました。1978年のシネ・ファンタスティック誌です。これはスター・ウォーズのメーキング特集号ですが、この号でインタビューされている面々が、今日はなんと全員集合している(笑)すごい事ですね。

ジョン・ノール:
今回、VESメンバーの投票で50本の作品が選定された訳ですが、パネラーの皆さんが個人的に影響を受けたと思う作品を、今回のリスト50に入っていない作品も含め、挙げてください。

ダグラス・トランブル:
私が影響を受けた作品ですか…ディズニーの「バンビ」(1942)かな(笑)最も観たのは4歳の時でしたが。「ピノキオ」(1940)で採用されたマルチプレーンの撮影台による映像にも、後々すごく影響を受けました。あとは「宇宙戦争」(1953) なんかも捨てがたいですね。

 
ケン・ラルストン:
私は「シンドバット」(1958) ですね。あと昔のSFテレビ・シリーズにも影響を受けました。そのせいで、今でも火星人が怖いです(場内爆笑)

 デニス・ミューレン:
私も「シンドバット」(1958) ですね。この作品に出てくる、レイ・ハリーハウゼンによるガイコツとの戦いシーンのストップ・モーションアニメから受けた衝撃は大きかった。「宇宙戦争」(1953) を初めて観た時は、怖くて隠れながら観た思い出があります。

あと、私が日本の「ゴジラ」(1954)から受けた影響の大きさは計り知れないものがあります。「ゴジラ」は是非名前を挙げておきたいモンスター映画です。

 リチャード・エドランド:
ヒッチコックの「鳥」(1963)等は印象深いです。また「十戒」(1956) での"紅海の水割り"は、今観ても「よく作ったな」と思いますね。

ジョン・ダイクストラ:
「2001年宇宙の旅」 (1968) を観た時、私は17歳でしたが、そのリアルな映像にビックリしました。あの仕事を見て、私は実写の仕事がしたいと考えるようになりました。

ケン・ラルストン:
観て育った中では、ワーナーの、一連のテレビアニメなんかは良い思い出ですよね。あと、「ピノキオ」(1940)や「ファンアジア」(1940)、 「トイ・ストーリー」(1995)なども印象に残っています。

デニス・ミューレン:
「透明人間」(1958)も良かった。また、飛行船の爆発事故に爆破説を絡めて描いた「ヒンデンブルグ」((1975)も忘れられませんね。

ジョン・ダイクストラ:
「宇宙からの生命体 ブラッドラスト」(1958)なんかも、白黒ですが、味があって私の好きな作品の1つです。

 ジョン・ノール: さて、では今日ここにおられるパネラーの皆さんが実際に携わられた「2001年宇宙の旅」 (1968)や「Star Wars」(1977)、「未知との遭遇」 (1977)等について語って頂きましょう。

トランブル氏、あなたは「2001年」で、"special photographic effects supervisor"を担当されていますが。

 ダグラス・トランブル:
当時、私は23歳でした。「2001年」の製作経験は、私にとっては学校のようなものでした。ジョン・ウィットニーが使っていた手法を応用して撮影したショットもあります。最も当時はまだコンピューター制御がまだまだ普及していない時代でしたが。

ジョン・ノール:
その点、コンピューター制御のパイオニアという部分では、ダイクストラ氏ですね。

ジョン・ダイクストラ:
私はもともと、カリフォルニア州立大バークリー校で、コンピューター制御のカメラを使って、コマ撮りでモーション・ブラーを表現する実験をしていたのです。その後、トランブル氏の紹介で「スター・ウォーズ」に参加する事になりました。

当時、特撮部分の撮影はロサンゼルスのVan Nuysで行われていました。

 バレー(ハリウッドの山の裏側のエリア)の夏は、昼間の灼熱地獄がものすごく、撮影の時は死ぬかと思いました。交代制で24時間の連係で撮影が行われました。その点、デニス君は役得だったのです。

デニス・ミューレン:
そう、私のシフトは夜班でしたので、灼熱地獄を味あわずに済みました(笑)「帝国の逆襲」では、合成のマットラインを消すのに苦労しました。50万ドルもするオプチカル・プリンターで、マットラインを縮小させる方法を試行錯誤したものです。

 マットラインを目立たなくさせる為に、輪郭を強調した雌マスクを作ってマットの上に合成して輪郭部分を縮小させてみたり。

その意味では、「未知との遭遇」での作業は、オプチカル・プリンターでの多重合成が本当に大変でした。「未知~」で今でも自信を持って言える事は、「CGでは作れない映像が出来た」事です。

最新のCGテクニックを駆使しても、このクオリティを凌駕する事は難しいのです。

 なぜならば、本物のミニチュア・モデル、本物のライト、フォグ、ライトのフレアなど、撮影セットで「物理的に起こっている」現象を、フィルムの特性を最大限に使って撮影したからです。

これはデジタルの、リニアの特性を持つフレアとは見た目が全く異なり、実際のミニチュアが持つ奥行き感やディテールなど、これは実写でしか撮り得ない映像なのです。

ダグラス・トランブル:
確かにその通りだと思います。実際、その後の「ブレード・ランナー」は基本的に、カメラとレンズ、そしてテクニックは「未知との遭遇」と同じものを使って撮影しましたしね。

 デニス・ミューレン:
「未知~」で、もう1つ、最新のCGでも出来ない映像としては、空に広がる雲のシーンがあります。

 雲のシーンは、水タンクに白ペンキを垂らし、それを72コマ・秒のハイスピード・カメラで撮影しています。雲なので、単なる煙とは違い、下部分を平底にする必要がありました。その為に、次のような"技"を使いました。

 タンクに淡水と塩水を入れると、比重が重い塩水は下へ溜まり、淡水は軽いので上部へ重なります。両者が交じり合わない特性を利用して、淡水部分にペンキを拡散させているのです。

 また、雲の中央に穴があくシーンがありますね。

 これは、ある時にスタッフの1人が、タンクを蹴飛ばしたら振動で波紋が起こり、中央部分のペンキが薄くなるという世紀の大発見をしました(場内爆笑)

あれは、それを撮影したものなのです。

このパネル・ディスカッションは、合間に映像の上映も含めて行われ、あっという間に終了時間となってしまい、惜しまれながら終了した。

終演後も、パネラーと久しぶりの再会を喜び合う元同僚の参加者や、サインをもらう参加者、デニス・ミューレンと記念写真を撮る参加者など、かなりの盛り上がりを見せてた。

  

○第3日目 『2001 - A SPACE ODYSSEY』

  Sunday June10th 2007  6:30PM

  Doug Trumpull

 今年のVFXフェスティバルの最後を飾ったのは、「2001年宇宙の旅」の特別上映会、そして上映前に行われたダグラス・トランブル氏による特別講演であった。

 日本でも「オプチカルの神様」「特撮の神様」と崇められる程、ファンも多いトランブル氏だが、アメリカでは「発明家的フィルムメーカー」「革新者」「企業家」という複数の顔を持つ。

 そのスキルを、長きに渡るフィルム・メーキングのキャリアの中で発揮してきた。

トランブル氏はキャリア初期に、「2001年宇宙の旅」における、4人のspecial photographic effects supervisorのうちの1人として参加。

その後に参加した「未知との遭遇」「スタートレック」「ブレードランナー」は多くの映像製作者に感銘と影響を与えた。

 また監督作品として、「サイレント・ランニング」(1972)『ブレインストーム』(1983)、ユニバーサルスタジオのライド「バックトゥー・ザ・フューチャー ザ・ライド」(1991)、ラスベガスのルクソール・ホテルのIMAXライド「Secrets of the Luxor Pyramid for Luxor」(1993)などがある。

では、ダグラス・トランブル氏の講演内容を簡単にご紹介しよう。

 
40年も前の作品ですが、こうして未だに講演に呼んで頂ける事を、大変な誇りと光栄に思っています。

私と、監督のスタンリー・キューブリックは良き友人で、彼の誘いにより「2001年」に参加する事になったのが、そもそもの始まりでした。

 撮影現場の光景は、巨大な宇宙船の回転セットや、それらを取り囲む大がかりな空調システムなど、60年代後半当時としては珍しい規模のものでした。

 撮影では、随所でキューブリックらしい「こだわり」がみられました。

 宇宙船の船内は、特別な照明を焚かずに現場の船のセット内にあるランプ等の自然な光だけで撮影されました。自然なライティングを余すことなくカメラが捕らえるよう、細心の注意を払って撮影されています。

 私の役割は、実際に撮影現場へ行き、追加で必要とされる「特殊映像」を担当する事でした。

 ライブ・アクション部分は35mmで撮影されています。宇宙船のモニターに映っている「CG」は、アニメの撮影台で撮影され、あとからオプチカル合成されたものでした。

 また、コンピューターのワイヤー・フレームの映像はこうやって作りました。

 針金で作ったオブジェを白くペイントし、回転させ、それを黒バックで撮影しました。これぞ、"本物"のワイヤー・フレーム(笑)

 これらは、オプチカル・プリンターで実写映像に合成していますが、ショットの中にはオプチカルのテクニックを駆使して苦労して仕上げたものの、残念ながらNGになってしまったショットもありました。

 さて、今夜これから上映されるフィルムは残念ながら70mmm版ではなく35mm版ですが、ワーナー・ブラザーズの担当者によればプリントの状態はかなり良いそうです。

 それでは、今日はありがとうございました。(談)

 


 
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