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映像ジャーナリスト 鍋 潤太郎の随筆による、ハリウッドVFX情報をいち早くお届けします。

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1996年8月6日(火)、日経新聞の夕刊にこんな記事が掲載された。「スクウェア米で映画製作に進出 技術者募集、CGを駆使」この記事では、年内に80人の製作チームを結成し、2~3年後をメドに、CGを駆使したデジタル映画を内外で公開する狙い」等と報じられていた。

それから5年余りが経過。スクゥエアのホノルル・スタジオは2002年3月末をもって閉鎖された。

あの素晴らしい映像を製作した同スタジオの閉鎖を惜しむ声は、ハリウッドでも多かった。元クルーの方々は次なる活躍の場を求めるべく、母国に戻ったり、あるいはハリウッドでの就職活動に精を出すなど、各方向で鋭意奮闘中である。

そんな中、筆者はひょんな事から、アメリカ西海岸に帰って来られた元クルーの方に、映画製作期間中からスタジオ閉鎖に至るまでの、同スタジオでの様々なエピソードを伺う機会があった。その1部を、筆者の意訳により、ご紹介したいと思う。



~映画「ファイナル・ファンタジー」のプロジェクトに参加出来て、良かったと思う点は?

アメリカ内外を問わず、今後多くのCGプロダクションが「リアルな人間CG」を表現していくとは思うが、少なくとも、映画「ファイナル・ファンタジー」はその過程での指標的な映画の1つにはなった事。



~映画の公開前後、米メディアに登場するのはアメリカ人スタッフが中心でしたね。日本人スタッフは、あまり表に出ていなかったようでしたが。

おそらく、「ハリウッド映画」という事を強調したかったのだと思う。しかし、もっと日本人の名前を出しても良かったように思う。実際、日本人アーティスト達の活躍には目を見張るものがあった。欧米人スタッフの名前ばかりが前面に出ていたのは少々残念だったと思う。



~ハリウッドの大手CGプロダクション等でも、大規模になると人間関係やワークフロー等の問題や苦労話をよく聞きますが、そのあたりは如何でしたか?

どこのプロダクションでもある話だと思うが、「政治的に立ち振る舞うのが上手いだけの人」がおり、個人的にはそれらの「政治的に上手く立ち回っては、お手柄を頂戴していく人」には完全に閉口していた。

プロダクション経験が充分では無いのに、そういう人がセクション・スーパバイザになったりするのは驚きだった。経験不足なので要領を得ていない上、セクション・スーパバイザという権限を与えられているので、余計に問題が生じたりする事すらあった。

また、初めてのCG映画という事で、全体にマネジメントも手探りだった。それ故、プロデューサが何度も変わり、その度に現場が掻き回されたのが、ものすごくやりにくかった。



~プロダクション(製作作業)の中で、すごく燃えた部分や、楽しかった部分を教えてください。

最初のteaser(=困難なショット)が出来上がった時は、皆、とても喜んでいた。

特に、プロダクションの終盤近くで、各ショットがものすごい勢いで完成されていく様子は、かなり緊迫感があり、今でも強烈に印象に残っている。



~製作中、公私を問わず、スタッフの皆さんが最も楽しんでおられた事は何ですか?

ハワイの大自然のアクティビティ、ショッピング、パーティ、そして仕事、のいずれか。



~ホノルルという場所でのCG映画製作が行われた事について、利点・欠点の両方があったと思うのですが。また、ご自身の経験から、西海岸での映像製作と比較されると、いかがでしたか?

西海岸との相違点は、マイノリティを感じないという事。人種を意識することがあまり無かったように思える。また、土地柄か本当に優しい人が多い。都会といった街の風景が少ないので、時としてそこに不満を覚える時もあったが、欠点と言えばその程度だ。



~日本人スタッフを見て、スタイルの違いのようなものは感じましたか?

これは、細かく言えばいろいろとあるが、突き詰めて行くと、基本的にはパーソナリティ(性格)の問題で、人種的なものではない、というのが私の結論だが。

ただ、友人の1人は、日本人アーティスト達が家に帰らないのを見て、それをすごく珍しがっていたね。


~製作期間中、映画のストーリーについて、スタジオ内での意見はどうでしたか?

「これだと、つまらないかもしれないな」という声が大半だった。



~試写で初めて、全編が繋がったバージョンを観た時の感想をお聞かせ下さい。

単純に制作者側の立場で観ていたが「本当に出来上がったな」と感無量だった。音楽や効果音等が全て完成した状態で観ると、印象がずいぶん違うな、というのも感想の1つだった。



~初めて観客と一緒に、一般映画館で観た時の感想をお聞かせください。

我々はデイリー(毎朝の試写)で何度も映像を目にしていたので、観客から観た映画の第一印象が、一体どのようなものなのか、大変興味があった。

観客と一緒に観た時に「お~、凄いな~、この爺さん本物みたいだ~」と言う声が、後ろの客席から聞こえた事が、とても嬉しかったのが印象に残っている。




~公開最初の週の、BOX OFFICEの結果が出た時の、スタジオ内の様子はどうでしたか?

売り上げが期待以下だったので、皆、とても落胆していた。



~映像の完成度があれだけ素晴らしいのに、結果として映画がヒットしなかった要因は、何だと思われますか?

 「ストーリー」。今思えば、スタッフも皆、製作中から気がついていた事だったのかもしれない。



~映画公開後から閉鎖されるまでの、ホノルルスタジオではどんなプロジェクトが進行していましたか?差し障りの無い範囲で教えてください。

ラルクァンシェルのプロモーション用映像。映画「マトリックス(Matrix)」のDVD用Short Animation 映像。これはフルCGの10分程の映像で、まだパブリックには公開されていない。後は、映画「鉄腕アトム(Astro Boy)」用のプレゼン映像など。



~3月末の閉鎖がオフィシャルにアナウンスされた時のお気持ちをお聞かせ下さい。

法律上、閉鎖する際はその閉鎖日の2ヶ月前には雇用者全員にその旨を通達しなければいけないという理由から、1月28日にアナウンスがあったようだ。

それ以前から予め、「様々なネゴシエーションをしている」という内容の話が社長からされていた。それらが駄目だった場合は3月末に閉鎖の可能性もある、とは聞いていたので、ああ駄目だったのか、というのが正直な感想だった。



~スタジオには大勢の日本人スタッフがおられましたが、閉鎖後の身の振り方は、主にどのようであったかご存知でしょうか?

日本人の大半は東京にあるスタジオに戻ったようだ。ハワイに残っている人もいた。

しかし、閉鎖の情報を聞きつけた幾つかのハリウッドのスタジオからリクルータが駆けつけ、何社かはホノルルで面接を実施していた。ごく少数の日本人は、LA, SFO, ニュジーランド等に行くようだ。



~スタジオ閉鎖に伴い、スタジオのハードウエアはどうなったのでしょうか?

基本的には最初に社員にセールで売られ、残ったものをパブリックにオークションという形で売られ、それでも残ったものはドーネーション(寄付)もしくは廃棄処分だと聞いた。



~同スタジオの新しいレンダラー、キラウエアは、今後どのように使用されるのでしょうか?
   
開発チームが全員社内からいなくなってしまったので、今後も使用されるかどうかは、私にはわからない。

キラウエア自体は、プロダクションレベルでの使用準備が完全に整う前であった事と、ホノルル・スタジオの膨大なRender Farmで計算する事を前提にデザインされていたので、日本で開発を続けるという話は、現段階で私自身は耳にしていないが。

だが、個人的には、キラウエアを使用した作品を制作してみたかった。

「鉄腕アトム(Astro boy)」のプレゼンテーション用映像制作では、テストで幾つかのショットでキラウエアを使用した。いろいろ苦労もあったが、製作スタッフとR&Dスタッフの努力で、短期の間にかなり高速になったのだが。



~今後も日本発のフルCG映画が出てくるかもしれません。その作品の製作体制に何か助言をするとしたら、どんなご意見を持っておられますか?

大切なのは「ストーリー」。技術が重要なのではない、ということ。

良いストーリーがあって、その上で何を表現したいのか?それを表現するためにどんな技術が必要か?という事が重要なのだと思う。

プロダクション的には、フルCG映画を制作するとなると、かなりの量のデータと人材を扱う事になり、プロダクション・マネージメントがかなりシッカリしていないと、その管理、進行が非常に難しいという事は痛感した。事前にマネージメント体制を固める事は非常に重要だと思う。

最も、これらはフルCG映画に限らず、映画制作自体に言える事かもしれないが。



~「ファイナル・ファンタジー」が、映像史&CG史に残した物は何だと思われますか?

フルCGで、リアルな人間の制作に挑んだ映画、ということでは映画史に残ると思う。


~現在「ファイナル・ファンタジー」のプロジェクトに対して、どんな思い出や感想を持っておられますか?

無謀にも挑んでしまい、その映像を作り上げてしまった。という感じ。ものすごく貴重な経験であったし、偉業でもあった。

ただ、もし、あともう1作品ホノルル・スタジオで作品が制作出来たなら、それはきっと本当に凄い作品になっていたかもしれない、と思っている。

(2002年4月中旬、ロサンゼルスにてインタビュー)


最後に、蛇足ではあるが、筆者の知人のアメリカ人女性のコメントを、引用しておきたい。

"私は映画「ファイナル・ファンタジー」が大好き。映画のDVDも買ったわ。

あの画面の美しさと言ったら信じられない位だし、キャラクターのリアルな表情なんて、もう驚異的よね。そのスタジオが閉鎖になってしまったなんて、本当に残念だわ。

もし、製作スタッフの方に会う機会があったら、是非、伝えて頂きたいわ。ここに、映画「ファイナル・ファンタジー」を心から愛しているアメリカ人が、1人いるっていう事を…”

以上


関連記事:

スクウェアUSAのホノルル・スタジオが3月末に閉鎖決定(02/03/2002)

参考事項:
筆者がアメリカ人の同僚に「これまでに働いた事がある大手VFXスタジオの中で、パイプラインの完成度が最も高かったのは?」と聞いたところ「ハワイのスクウェアUSA ホノルル・スタジオだ。あの会社のパイプラインはハリウッドのどのVFXスタジオよりもよく出来ていた」との事である。ご参考あれ。


 

   過去記事はこちらからどうぞ 全目次
 



このサイトに含まれる記事は、日本のメディア向けに
書かれたものを再編し、ご紹介しています。

著者に無断での転載、引用は固くご遠慮下さいますよう、
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よりご連絡下さいませ。

(C)1997-2010 All rights reserved  鍋 潤太郎 


 

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ハリウッドのVES(Visual Effects Society/全米視覚効果協会)は、毎年6月に
ビジュアル・エフェクツ・フェスティバルを開催している。

今年はビバリーヒルズにある全米脚本家協会の試写室、Writers Guild Theaterで、
6月8日(金)から10日(日)までの3日間、週末を利用して開催された。

このフェスティバルは、ハリウッドのVFX現場では「シーグラフよりも面白い」と
謳われる程で、メーキング講演などが目白押しの、非常に密度の濃いイベントである。

このレポートの第5弾を、先週に引き続きお届けしよう。


○第3日目 『The VES50』

 THE VES 50 - The most Influential Visual Effects Films of All Time
  Sunday June10th 2007 3:30PM-5:30PM

  John Dykstra
  Richard Edlund
  John Knoll
  Dennis Muren
  Ken Ralston
  Doug Trumbull

 
  VESはハリウッドを中心とする、世界中のVFXのプロで組織されているが、
 今回のこのフェスティバル開催にあたり、「最も影響を受けたVFX映画ベスト50」を
 会員投票によって募り、その結果をこの程発表した。
 
 「このベスト50を会員投票によって決定する試みは、大変スリリングなものでした」
 とVESのエグゼクティブ・ディレクターであるエリック・ロス氏は語っている。

 「これらの作品は、映画が持つ表現能力やストーリーテリングを、VFXによって
 数レベル上に押し上げただけでなく、われわれVFX界で働く者達に多大な影響を
 与えたのですから。

 このパネル・ディスカッションでは、リチャード・エドランド、デニス・ミューレン、
 ダグラス・トランブル、ジョン・ダイクストラらアカデミー賞受賞暦のあるVFX界の
 著名人をパネルに迎え、司会はILMのジョン・ノールというメガトン級豪華メンバーが
 勢ぞろいし、華々しく開催された。

 では、その模様を簡単にご紹介しよう。


 ジョン・ノール:
         私は1962年生まれです。これらの50本の映画を観て育ったような
         ものです。いつも「どうやって作ったんだろう?」と思って 
         いました。シネフェックスやスターログ等の雑誌は、もうそれこそ
         死ぬほど読みました。子供の頃、母に連れられてジョン・ダイクストラ
         のスタジオを訪問し、「これを仕事にしよう!」と思ったものです。

 ジョン・ダイクストラ:
         実は、私は今日「ビンテージもの」の雑誌を持って来ました。1978年の
         シネ・ファンタスティック誌です。これはスター・ウォーズ
         のメーキング特集号ですが、この号でインタビューされている
         面々が、今日はなんと全員集合している(笑)すごい事ですね。

 ジョン・ノール:
         今回、VESメンバーの投票で50本の作品が選定された訳ですが、
         パネラーの皆さんが個人的に影響を受けたと思う作品を、
         今回のリスト50に入っていない作品も含め、挙げてください。

 ダグラス・トランブル:
         私が影響を受けた作品ですか…ディズニーの「バンビ」(1942)かな(笑)
         最も観たのは4歳の時でしたが。「ピノキオ」(1940)で採用された
         マルチプレーンの撮影台による映像にも、後々すごく影響を受けました。
         あとは「宇宙戦争」(1953) なんかも捨てがたいですね。
 
 ケン・ラルストン:
         私は「シンドバット」(1958) ですね。あと昔のSFテレビ・シリーズ
         にも影響を受けました。そのせいで、今でも火星人が怖いです(場内爆笑)

 デニス・ミューレン:
         私も「シンドバット」(1958) ですね。この作品に出てくる、
         レイ・ハリーハウゼンによるガイコツとの戦いシーンの
         ストップ・モーションアニメから受けた衝撃は大きかった。
         「宇宙戦争」(1953) を初めて観た時は、怖くて隠れながら
         観た思い出があります。あと、私が日本の「ゴジラ」(1954)から
         受けた影響の大きさは計り知れないものがあります。「ゴジラ」
         は是非名前を挙げておきたいモンスター映画です。

 リチャード・エドランド:
         ヒッチコックの「鳥」(1963)等は印象深いです。また「十戒」(1956)
         での"紅海の水割り"は、今観ても「よく作ったな」と思いますね。
         
 ジョン・ダイクストラ:
         「2001年宇宙の旅」 (1968) を観た時、私は17歳でしたが、そのリアルな
         映像にビックリしました。あの仕事を見て、私は実写の仕事がしたいと
         考えるようになりました。

 ケン・ラルストン:
          観て育った中では、ワーナーの、一連のテレビアニメなんかは良い
          思い出ですよね。あと、「ピノキオ」(1940)「ファンアジア」(1940)
         「トリ・ストーリー」(1995)なども印象に残っています。

  デニス・ミューレン:
                   「透明人間」(1958)も良かった。また、飛行船の爆発事故に爆破説を
          絡めて描いた「ヒンデンブルグ」((1975)も忘れられませんね。
 
 ジョン・ダイクストラ:
                   「宇宙からの生命体 ブラッドラスト」(1958)なんかも、白黒ですが、
          味があって私の好きな作品の1つです。

 ジョン・ノール: 
         さて、では今日ここにおられるパネラーの皆さんが実際に携わられた
         「2001年宇宙の旅」 (1968)や「Star Wars」(1977)、「未知との遭遇」
         (1977)等について語って頂きましょう。

         トランブル氏、あなたは「2001年」で、"special photographic
                  effects supervisor"を担当されていますが。

 ダグラス・トランブル:
                 当時、私は23歳でした。「2001年」の製作経験は、私にとっては学校のような
         ものでした。ジョン・ウィットニーが使っていた手法を応用して
         撮影したショットもあります。

         当時はまだコンピューター制御がまだまだ普及していない時代でしたが。

 ジョン・ノール:
         その点、コンピューター制御のパイオニアという部分では、
         ダイクストラ氏ですね。

 ジョン・ダイクストラ:
         私はもともと、カリフォルニア州立大バークリー校で、コンピューター制御の
         カメラを使ってモーション・ブラーを表現する実験をしていたのです。
         
         その後、トランブル氏の紹介で「スター・ウォーズ」に参加する事に
         なりました。

         当時、特撮部分の撮影はロサンゼルスのVan Nuysで行われていました。
         バレー(ハリウッドの山の裏側のエリア)の夏は、昼間の灼熱地獄が
         ものすごく、撮影の時は死ぬかと思いました。交代制で24時間の連係で
         撮影が行われました。

         その点、デニス君は役得だったのです。

  デニス・ミューレン:
         そう、私のシフトは夜班でしたので、灼熱地獄を味あわずに済みました(笑)

         「帝国の逆襲」では、合成のマットラインを消すのに苦労しました。
         50万ドルもするオプチカル・プリンターで、マットラインを縮小させる
         方法を試行錯誤したものです。

         マットラインを目立たなくさせる為に、輪郭を強調した雌マスクを作って
         マットの上に合成して輪郭部分を縮小させてみたり。

         その意味では、「未知との遭遇」での作業は、オプチカル・プリンターでの
         多重合成が本当に大変でした。

         「未知~」で今でも自信を持って言える事は、「CGでは作れない映像
         が出来た」事です。

         最新のCGテクニックを駆使しても、このクオリティを凌駕する事は
         難しいのです。

         なぜならば、本物のミニチュア・モデル、本物のライト、フォグ、
         ライトのフレアなど、撮影セットで「物理的に起こっている」現象を、
         フィルムの特性を最大限に使って撮影したからです。

         これはデジタルの、リニアの特性を持つフレアとは見た目が全く異なり、
         実際のミニチュアが持つ奥行き感やディテールなど、これは実写で
         しか撮り得ない映像なのです。

 ダグラス・トランブル:
         確かにその通りだと思います。実際、その後の「ブレード・ランナー」は
         基本的に、カメラとレンズ、そしてテクニックは
         「未知との遭遇」と同じものを使って撮影しましたしね。

  デニス・ミューレン:
         「未知~」で、もう1つ、最新のCGでも出来ない映像としては、
         空に広がる雲のシーンがあります。

         雲のシーンは、水タンクに白ペンキを垂らし、それを72コマ・秒の
         ハイスピード・カメラで撮影しています。

         雲なので、単なる煙とは違い、下部分を平底にする必要がありました。
         その為に、次のような"技"を使いました。

         タンクに淡水と塩水を入れると、比重が重い塩水は下へ溜まり、
         淡水は軽いので上部へ重なります。両者が交じり合わない特性を利用
         して、淡水部分にペンキを拡散させているのです。

         また、雲の中央に穴があくシーンがありますね。

         これは、ある時にスタッフの1人が、タンクを蹴飛ばしたら振動で
         波紋が起こり、中央部分のペンキがなくなるという世紀の大発見を
         しました(場内爆笑)
 
         あれは、それを撮影したものなのです。

         
 このパネル・ディスカッションは、合間に映像の上映も含めて行われ、あっという間に
 終了時間となってしまい、惜しまれながら終了した。

 終演後も、パネラーと久しぶりの再会を喜び合う元同僚の参加者や、サインをもらう参加者、
 デニス・ミューレンと記念写真を撮る参加者など、かなりの盛り上がりを見せていた。
 
 


 


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