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映像ジャーナリスト 鍋 潤太郎の随筆による、ハリウッドVFX情報をいち早くお届けします。

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注:2001年11月の記事です。
 
大ヒットした「Shrek」だが、完成に漕ぎ付ける迄の数年間の間に、実は大変な紆余曲折があった事はあまり知られていない。

現在ポリゴン・ピクチュアズで活躍されているCGアニメータ、野口光一氏(注:記事随筆当時。2013年現在、野口氏は東映アニメーションの所属)は、ハリウッドのボス・フィルム(Boss Film)に在籍中、このプロジェクトに関わっておられた経験をお持ちである。ここで野口氏の貴重なお話をご紹介しておこう。

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もともと DreamWorksは、この「Shrek」を 、背景をミニチュア、キャラクターをCGで、というスタイルで企画し、テストしていた。

DreamWorks社内で、Softimage社のスペシャル・プロジェクト(専門技術スタッフを派遣して、プロジェクトをサポートする専門チーム)の協力の元に制作していたのである。

しかし、あまり結果が良ろしくなかったのか、DreamWorks社内の「Shrek」 プロジェクトのチームは、97年に全員解雇。

当時VFX会社が不況ということもあり、LAのVFX会社数社にテストの依頼が来ていた。ボス・フィルムも当然手を挙げてテストしていた。

当時、リップシンク用に、映画「ビバリーヒルズ・ニンジャ」で主演していた太ったコメディ俳優、クリス・ファーレイーでプレスコもしていた。そのビデオを渡され「この人と同じ動き&表情を狙ってる」とのオーダーだった。

これが私のボス・フィルムでの最後の最後の仕事でもあった。Softimage3Dで「Shrek」のアニメーションテストをしていた。(で、ボス・フィルムは倒産という事になった訳だが)ビデオテストまでやったのに………

その年末、クリス・ファーレイーが突然亡くなったので、最終的に「オーティン・パワーズ」で人気が出たマイク・マイヤーズが浮上したという事らしい。

当時、POP(Pacific Ocean Post) とかPacific Title等のスタジオも、この作業をやっていたはず。その前後にDreamWorksはPDI を傘下にして、PDIで制作という事になったと思ったら、フルCG作品へと企画を変えた模様。

という訳で、長~い企画でもあり、私もちょっと絡んでいただけに、とても気になる映画なのである。

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これを読むと、主人公Shrekの“あの”体格は、故クリス・ファーレイーがモデルになっている事が覗える。そう言われれば、確かにクリス・ファーレイーに良く似ているではないか。

また、思い起こせば、筆者が97年に知り合ったアニメータも、DreamWorksの「Shrek」チームを解雇された1人だった。「カッツェンバーグがテストを気に入らず、チーム全員がクビになった」と話していた。

そうして4年が過ぎ、企画段階も入れるとおそらく5年以上を費やし、様々な経緯を経て完成、そして見事に大ヒットした作品なのである。

大ヒットの影には、このようなドラマが隠れていたのであった。


関連記事:

特報:BOSS FILMが倒産(08/27/1997)

『リストラの秋BOSSFILMの競売開始』(10/09/1997)


 
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(C)1997-2013 All rights reserved  鍋 潤太郎
























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著者注:今思えば、これが映画「WALL E」へと繋がった訳ですが、それが未知だった2006年当時は、ちょっとしたスクープでした。

信頼出来る消息筋によると、長年ILMでVFXスーパーバイザとして君臨してきたデニス・ミューレン氏が、ILMの専属社員という立場を"卒業"し、この程ピクサーと契約した模様だ。

この情報について、ILMもピクサーも、現時点ではオフィシャルなコメントこそ発表していないものの、サンフランシスコを中心とするベイエリアのCG及びエフェクト業界、そして特にILM社内では「もはや周知の既成事実」として受け止められている。

複数のILM社員の話によると、デニス・ミューレン氏は、今でも週に1日だけパート・タイムという形でILMに立ち寄っており、残りの時間は自宅での随筆作業や、ピクサーにて過ごしているという。

実写のVFX専門家であるデニス・ミューレン氏が、CGアニメーション専門のスタジオであるピクサーと契約すると言うのはやや畑違いの感もあるが、これについてILM関係者は「長年VFX業界で過ごし、VFXという分野を突き詰めて来たデニスにとって、そのキャリアの頂点は充分に極めてしまったいう事もあり、彼にとって何か"新しい分野"に挑戦しようとしているようだ」と語っていた。

ILMでは最近、マーク・ミラー氏、クリフ・プルマー氏、キム・リブレーリ氏という3人のトップ・シニア・エグゼクティブがデジタル・ドメインへと移籍したばかりで、社内マネージメント体制が大きく変革しつつある渦中にある。例え週に1日とは言え、デニス・ミューレン氏との関係を残す事で、対外的な対面を保ったとする見方も強い。

このデニス・ミューレン氏とピクサーという新しい出会いが、今後どのような形で映像作品として現れてくるのか、注目されるところだろう。


デニス・ミューレン氏:

ミューレン氏は1975年に「Star Wars」でそのキャリアをスタートさせ、その直後にILMがロサンゼルスからサンフランシスコに移った後も30年間近く在籍、VFXスーパーバイザーとして多忙な日々を送っていた。氏は8回のアカデミー賞 視覚効果部門での受賞、そして9回の化学&技術賞など、「最も実績のあるVFXアーティスト」として君臨してきた。手掛けた作品も「帝国の逆襲」「ジェダイの復讐」「ET」「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」「インナースペース」「アビス」「ターミネーター2」「ジュラシック・パーク」他、最近では「宇宙戦争」等がある。VFX界をリードする作品ばかりだ。

最近、ミューレン氏が1970年に学生映画として製作した「Equinox」がDVDリリースされ、マニア層を喜ばせた。また、99年に氏は、ハリウッド大通の歩道上にあるStar on the Hollywood Walk of Fame(名前が刻まれた星型のプレート)にも、VFXアーティストとして初めてその名を刻む等、多大な実績を残している。

また、来年2月11日にハリウッドで開催予定のVES Awards授賞式[ビジュアル・エフェクツ・ソサエティ(全米視覚効果協会)主催]において、生涯功労賞(Lifetime Achievement)がミューレン氏に贈られる事が既にアナウンスされている。
 


 
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